越田英喜 KOSHIDA Hideki
太平洋戦争の終戦まぢかな頃の遠い遠い記憶へ。
尻馬に乗って(2017) 越田英喜画集
大阪の下街で生まれた家の近くには当時、馬力屋と呼ばれていた「うす暗い馬舎」があった。何頭の馬が繋がれていたかは記憶にないが、恐る恐る忍び込んだ馬舎内は鼻をつく馬糞の臭いと馬のブルブルという鼻息、バタバタと腰板を蹴る音。
半分逃げ腰だが、幼年ながら何ともいえぬ魅力に取りつかれた。馬舎の近くには、馬蹄を修理する調蹄屋さんがあり、真っ赤に焼けた蹄鉄を馬の蹄に当て、釘で打ち込むが馬は暴れず、不思議な風景が、これ又恐ろしかった。
今で云う、運送会社であり自動車の修理工場である。
真夏のある日、荷馬車が止まり、コークスを荷台から降ろしている作業中に、太陽の照りつけに耐えかねて馬が崩れるように地面に倒れた。大きな馬がまるで布団を投げ捨てたようにペタンコになって起き上がることはなかった。その馬は真夏の日照りを和らげるため帽子代わりに馬頭に布傘をつけ、腹回りは地面からの反射熱を避けるため布製の腹帯をつけていた。父が騎兵隊員であったことで家には乗馬の写真や馬具が飾られたり吊り下げられていた。
私は病弱なこともあり家に居ることが多く知らぬ知らぬのうちに馬を描くことを始めた。時節柄ほとんど騎馬隊の絵を描いていた。
近所のおばちゃんやお姉さん達はそれを見て、うまいね、うまいね、とほめてくれた。有頂天。小学生になった頃も、運動会前になると道端の馬糞を捜しては足で踏みつけてリレーで勝つおまじないをしたりしていた。馬は生活の身近にあった。夏休みの絵の宿題に馬の絵を持って学校へ行った。担任の先生が絵画の先生だったのだが、大人の絵だ、誰に描いてもらったのだと、怒られた。
その後、中学生、高校生の頃は絵から遠ざかったが、高3の大学への進学の学部を決める時期になって絵を描くことをあきらめきれず、誰にも気兼ねせず絵ばかり描ける画学校を受験した。中学から大学まで一貫した学校だったため大学の推薦枠を断ってのことで、担任の先生には反対されたが、なぜか両親は反対しなかったのが幸であった。後で判ったのだが父は知人であった現代版画家の前田藤四郎先生に相談し私の絵を見せたら、先生はトライさせてみてはと言われたらしい。この一言が大きかった。
大学では純粋芸術ではなく、当時、人気のあった工芸科デザイン専攻を選んだ。デザイン教育は今までの既成概念を打破し創造力を鍛えることに夢中だった。当時の主任教授であった上野伊三郎、リッチ両教授のバウハウスを視座した独自性の強い実技の指導や考え方は私にとって異次元の世界であり、受けた刺激と影響は計り知れない。
卒業後、現代アートの鬼才と言われ日本のデザイン界の草分け的存在であった今竹七郎先生を師事し、短期間ではあったが徹底したデザインの実践的指導を受けた。デザイン会社を設立し、50数年の歳月を重ねてこられたのも先生の姿が私のロードモデルになっているからだろうと思う。
かつて、父から北海道で余生を馬と共に過ごしたいのだが。と相談があった。母は反対だった。父も私も馬好きは甲乙つけがたい。
答えはすぐに出た。北海道に行こう。
北海道長万部町静狩。4000坪程の内浦湾に面した敷地の付いた古びたドライブインを買い取った。ドライブインは海に通じていて直線で10km程まっすぐに伸びた砂浜は長く遠く乗馬には最高の条件だった。荒れた時の海はゴォーゴォーと海鳴りするし、ロシアからの流品や小魚や多量の昆布等も打ち上げられた。ドライブインを修復し、馬舎を建て柵を立て二頭のアラブ馬を飼い、父は直線の砂浜での乗馬を楽しんだ。ドライブインは夏場の観光シーズンは観光バスが駐車し、デザイン力を活かして馬にかかわる内装や馬の巨大看板は人気で看板前で記念写真を撮る人も多かった。この看板は後日、写真の専門雑誌「コマーシャルフォト」に看板のある風景で大きく紹介された。北海道新聞でも馬のいるドライブイン等で掲載され夏場の観光シーズンは大型の観光バスも立ち寄るほどになった。父も趣味の乗馬に飽き足らず、私も同じやるならサラブレッドの生産牧場をつくろうと考え出した。元々、狙いは薄々だがそこにあったのだ。地域の人々の紹介等でドライブインから10km程の山岳地区に牧場用地約7.5万坪を取得した。北海道に来て5年程の事である。
牧場用地は山岳地区のため平地が少なく泥炭地や石がゴロゴロの荒地で起伏を崩し沢を埋め開墾した。途方もない困難との戦いだった。サラブレットの生産、育成の経験のない素人が本当に牧場など出来るのか、自問自答の日々、歳月だった。向こう見ずの素人だから踏み込めた事業かもしれないと思う。
父と交友関係にあった白老の社台牧場本場から名血の繁殖牝馬の預託の話も成立、父の騎兵隊の戦友関係からも話があり、牧場としての基礎牝馬は整った。
苦労したが、あきらめずのご褒美である。
両親も他界し、日本中央競馬界に研修に出向いていた実弟の三男が滋賀県栗東トレーニングセンターからJRAの調教助手の免許を取得し戻ってきたのを機に日本の馬産のメッカ、日高地区へ分場を造る話を進めた。
日高静内はまぎれもなくサラブレッド生産地のメッカだ。名門牧場がひしめく20間道路の奥に平成元年に新設の越田牧場を開場した。さすがメッカだけあって伝統のある牧場ばかりで馬づくりには刺激的で知らぬことばかりだったが、馬産地、馬関係の皆さんのご支援、ご指導のおかげで中山大障害優勝馬ケイティタイガー、日本ダービー3着コーラルシー、条件馬だが、ユーロスター、マサダ、コシズカンバス、コシズエッグ、コシズアルファ、フォークテールetc…、中央競馬で活躍する馬を生産できるようになった。
馬とデザイン
ミラノのダヴィンチ科学博物館には「馬」とダヴィンチをコンセプトに「馬と人間との関わり合い」を産業機械、鉄道、自動車、オートバイ、船、飛行機等の模型や実物で解りやすく展示されている。高度工業化社会においても今だ馬力はエンジンの基本単位である。第一次産業革命が動力の革命であったように馬と産業の関わり、馬と国力との関わり、馬が生活や社会にどのように共生してきたかデザイン視点で鳥瞰すると興味深い。
ブランドにおいてもエルメス、ロンシャン、フェラーリ、ポルシェ、ポロ、ムスタンク、ホワイトホースetc…馬を冠する有名ブランドは数えるに余りある。欧米の有名ブランドの多くは馬との関わりから始まった企業活動であり今日、注目度が増しているブランド戦略の原点はここにもある。
トヨタ自動車の本社のある鞍ヶ池のシンボルは流政之氏が彫刻した鞍がシンボルだし名馬のごとく乗り心地のよい車づくりをシンボライズしたものらしい。
私がデザイナーとして馬づくりに取り組んだ45年程の歳月で何が判ったのか、余りにも広く深く戸惑いの連続ではあったが、その中でも馬づくりを通して「生あるもの」を生み出し育てる責任の重たさを痛感したことだった。私の日々のデザイン活動において商品のデザインを考える時、商品は単なる物ではなく商品は生きモノであり、命が宿っていると考える。この考え方と馬づくりの経験と対峙させるのは軽率であるだろうかと自問する。
今度は生きた馬づくりから得た経験を、馬ばかり描いていた幼い頃の気持ちに立ち戻って自由気ままに。そんな気持ちで初めたオブジェづくりや日曜陶芸。技術のない悲しさの悪戦苦闘、いつも馬ばかり、馬しかつくれない、うまくいかないの連続だった。知らず知らずのうちに部屋狭しと走らない出番のない馬ばかりが並びだし粗大ゴミになりかねない。このままでは馬が可愛いそう。
未熟な手仕事、人様にお見せする代物ではないが、一度皆様に見てもらったらという優しい言葉の尻馬に乗って、小さな画集を作ることになりました。
牧場

昭和45年、北海道長万部にサラブレッドの生産牧場を開設
平成元年、北海道日高、静内地区に新設の牧場を開設し、サラブレッドのプロダクトデザインを開始
総面積:368.012㎡
活躍馬:コシズエッグ、ユーロスター、コシズカンバス、ケイティタイガー、
1968年 北海道長万部 「越田牧場」開設、場主
1989年 北海道日高静内 「越田牧場分場」新設、場主
1987年 日本中央競馬会 京都馬主協会会員
1990年 地方競馬全国協会 会員
経歴
1965年 京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)ビジュアルデザイン専攻卒
1966年 コシダアート創設
1973年 株式会社に改組、代表取締役
1986年 IVI株式会社創立 代表取締役
1987年 アールゴ有限会社創立 代表取締役
1997年 アクルックス株式会社創立 代表取締役
教育関係
1966年 学校法人インターナショナルデザイン研究所 専任講師
1975年 財団法人大阪デザインセンター付設デザイン研修所専任講師
1983年 京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン専攻非常勤講師
1996年 関西大学総合情報学部非常勤講師
2001年 学校法人上田学園 大阪総合デザイン専門学校 校長
2001年 NPO法人五十鈴塾 顧問
2004年 大阪芸術大学 デザイン学科 客員教授
2007年 財団法人国際デザイン交流協会「デザインコーデイネータ育成事業」専門講師
2009年 学校法人上田学園 学園長
2014年 学校法人大阪エンタテインメントデザイン専門学校 校長
公的関係
1982年 大阪府庁アートディレクター
1987年 大阪府産業デザイン研究所 運営委員
1995年 堺市役所アートディレクター
1998年 JAICAインドネシア国デザイン振興調査団 団員
2001年 大阪府産業デザインセンター 専門委員
2001年 大阪府官公需適格組合協議会 会長
2006年 大阪府広報室「にぎわい創造」アートディレクター
2007年 大阪市中小企業対策審議会 委員
2007年 財団法人大阪産業振興機構「おおさか地域創造ファンド事業」審査委員会 副委員長
2007年 わかやま県産品ブランド化支援アドバイザー
2009年 「プレミアム和歌山」審査委員
2010年 大阪産業振興機構「大阪通販道場」審査会審査委員長
2010年 中小企業庁中小企業政策審議会 臨時委員
2011年 全国官公需適格組合協議会 会長
2013年 和歌山県中小企業振興支援補助金審査委員
2014年 大阪府中小企業中央会 参与
2017年 全国中小企業中央会総合委員会委員
デザイン団体関係
1982年 財団法人大阪デザインセンターグッドデザイン商品選定審査委員住生活環境部門審査委員長
1989年 経済産業省Gマーク商品選定審査員会総合審査委員
1994年 協同組合大阪デザインオフィスユニオン理事長
2001年 日本デザイン協同組合連合協議会会長
2002年 協同組合関西デザインオフィスユニオン理事長
2003年 財団法人国際デザイン交流協会企画委員会委員長
2008年 財団法人国際デザイン交流協会評議委員会議長
2010年 協同組合ジャパンデザインプロデューサーズユニオン理事長
2011年 協同組合ジャパンデザインプロデューサーズユニオン理事最高顧問
2012年 財団法人大阪デザインセンター理事長
デザイン講演、講義関係
大阪府庁
堺市役所
北海道庁
仙台市役所
(財)日本産業デザイン振興会
高槻文化振興財団
日本貿易振興会
イランイスラム共和国
徳島商工会議所
貝塚市役所
北京理工大学
上海工業設計促進会
(財)神戸ファッション協会
(財)情報通信学会
ベトナム海外貿易促進センター
(財)国際デザイン交流協会
インドネシア国デザイン振興調査団JICA
バンドン工科大学
全国中小企業団体中央会
神戸芸術工科大学
大阪芸術大学
奈良県広域地場振興センター
(財)大阪産業振興機構
(財)21世紀協会
福山デザイン振興会
兵庫県文化大学校 等
